こんにちは、ふうちゃんです。
やはり、この日は忘れられません。
実家が福島県のいわき市です。
沢山の方が、今もいわきに避難したままです。
福島原発から実家は60㎞離れています。
地震でも室内の物が散乱しただけです。
家、そのものに実害はありませんでした。
あっ、忘れていました。
亡くなった父が趣味で作った
家の周りのブロック塀が全壊しました( ;∀;)
姉いわく、ものの見事に
きれいに?全部崩れ落ちたそうです。
地震の後、地元では
放射能が心配の声が上がり
子供は汚染すると甲状腺がんになるとの話
実家を継いだ姉は娘夫婦と暮らしています。
子供は3人、女の子は2人、末っ子が男の子
地震の後、子供達の同級生が
次々と避難のために
地元を離れだしました。
心配になった実姉と姪は
仕事のある姪のご主人だけを残して
実姉、姪と子供の3人で避難を決意
子供達は、今は大きくなりましたが
10年前は8歳、7歳、3歳ぐらいでした。
5人で、姪のご主人の実家のある埼玉へ避難
姪っ子と子供たちは、毎年お正月や夏休みに
埼玉にお邪魔していたので
すんなりと避難できました。
日頃の人間関係が大事ですね。
3か月ぐらい、避難していたと思います。
まさか、こんな事が起きるとは
皆で本当に驚きました。
姪っ子とも東京で会いましたが
着の身、着のままという感じで
可愛そうでした。
でも、洋服の事まで頭が回らない
どうでもいいと言うか
子供達が無事であればという感じでした。
まさか実家から避難することが
実際にあるなんて
思いもしない事です。
明るい家族一同なので
皆でいっぱいおしゃべりをしたり
美味しいものを食べたりしました。
でも、別れる時は胸がいっぱいでした。
まだ避難生活が続くと思うと
私の方が、泣きそうでした( ;∀;)
しばらく埼玉での避難生活をする
姪っ子たちを見送るのがつらくって
出来ませんでした。
3番目の姉の家で会ったので
姪っ子たちより、先に帰りました。
(姉が3人います^^;実家の姉は2番目)
本来なら、見送るべきですが
私の方が号泣しそうで
ちょっと無理をした笑顔で先に帰りました。
今でも、その時の事を思い出すと
胸がいっぱいになります。
小さかった姪っ子が
結婚し、3人の母となり
小さい身体で、子供たちを守っていました。
その時の、別れた時の様子が
今も、鮮明に浮かびます。
その事を毎年思い出すと
恥ずかしいような、悲しいような
複雑な心境になります。
姪っ子の子供達も大きくなり
今年は、長女が4月から大学生です。
時の流れを感じますね。
今日は、東日本大震災であった事を
思い起こし、教訓にしたいと思います。
なかなか出来ないのですが
地震の備えは、しっかりとしておきたいですね。
万が一の時のために!